iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

わたしは拒絶とともに生きていく。

拒絶しながら生きてきたということから、

拒絶とともに生きるということへ。

 

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わたしは拒絶とともに生きていく。

どんなにまわりがあたなを否定し、評価し、判断し、結果拒絶しても、

わたしだけはあなたを肯定し、認め、その役割をたたえることを誓います。

わたしの生命がわたしのこころとからだを生かす限り

わたしはあなたとともに生きていく。

拒絶に祝福を。

 

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拒絶≪Reject≫は

〇かたいです。

 〇頼ることができます。

〇私の心と尊厳をまもってくれます。

 〇怯える私をまもってくれます。

〇私がSPACE≪スペース・空間≫をつくることを助けてくれます。

 〇他からの不快・負のenergyを背負ってくれます。

〇かたいですが、

 水の底にいるような暗さと静けさを感じさせてくれます。

 

私の拒絶には、

SPACE≪スペース・空間≫、SHELTER≪身を守る場所・居場所≫、STILLNESS≪静けさ≫というニーズを満たす力があります。

 

私の奥底に横たわる絶望たち。

父親から捨てられたという記憶。

その時の小さなわたしが今でも悲鳴を上げ続けている。

どうしてなの どうしてなの!

わたしは人から愛される人間ではないのだと決めたのだ。

だからこんなにも他者と愛を信頼していない。

 

私は何か決めつけてしまっている。

他者と愛を信頼し、父親を許し、

”自分は人から愛される生命だ”という地点(ゴール)に行かなければだめだと、

決めつけてしまっているのだけれども。

限りない生命をこの体に宿すものとして

それ以外の可能性だってきっと、

ううん、

絶対にあるはず。

そして私はそこにゆけるのだ。

 

 

愛に縛られるのではなく、

慈悲≪compassion≫の世界へ踏み出そう。

 

 

悲しみに由来する優しさを咲かせてみたい。

拒絶も悲しみも絶望も諦めも分断も、

私のuniqueな種となりますように。

 

 2016.05.01

とても狂おしいはなしを。

私に、こんな感情を呼び起こせるのか、と思う人がいる。

言葉になんかならない、

ちいさなちいさな人としてのおおきなおおきな喜びと、

近寄るのすらためらう泣き叫びたくなるような悲しみを、

まったく同じ瞬間に感じるひと。

強烈な”欲しい”と、強烈な”おそれ(拒絶)”が、私の中には存在している。

人がひととしてふかくふかくから愛される喜びと、

それを受け取る怖さである。

 

その人の一挙一動が私を反応させるのである。

挨拶も、立ち振る舞いも、ふとした言葉も、表情も、仕草も。ほんとうに。

今思えば、それは初めて会ったときから今までずっと続いている。

目に見えない、感じ取れさえしないところでずーっと流れいてる文脈だ。

いまここで、それが立ち現れる。

強烈な喜びと、強烈な悲しみをわたしに渡して。

 

私にとっての父親のような存在だけれども、父親ではない。

その胸に飛び込みたい衝動と、それが許されない哀しさが一緒にいるのだろう。

こんなに苦しい気持ちになるのなら、

いっそとおくへ離れたいです。

わたしはどうしたらいいですか。

いまも、抱きしめられた感覚がわすれられない。

 

今日はなんだかいらいらした。
した、っていうか、してる。
なにかを何かのせいにして、知らんぷりを決め込んでゆきたい。
〝どんな感じなの〟
仕事の、意義。
期待されること、まとわりつくようで、気持ち悪い。
そんなものを、私に向けるなと、怒鳴りたい。
いつ、私が、期待してほしいなんて言った。
そんなもの向けんなよ。
どのように、あるの。
力をつけたい、どこでも生きていけるようになりたい、
人よりも優れていると評価されたい。
そんな汚いもの、見たくない。消えてしまえ、よ。

【BOOK RECORDS】ベロニカは死ぬことにした

わたしたちはみんな違う世界に住んでるの。
でも、満天の星空を見上げれば星座や太陽系、銀河系を形成する、違う世界がたくさんあるのが見えるでしょ。

多くの人は愛そうとしないわ。それこそ、同じ理由でね。
たくさんのことが危険に曝されるから。
たくさんの未来と、たくさんの過去も。
あなたの場合は今しかないから。

棚卸し 20141021


 

FBでまわってきたこの記事の、書き方にもやもやしたので整理。

自分が、(誰かに伝えたいと思って)文を書くときの参考視点。


自分が働く本当の目的を知ることができるたった1つの質問 | ライフハッカー[日本版]

雑感1、

・私はそもそも「○○することができる△個の質問」というテンプレがあまり好きじゃないんだなと思った。人の内側に問いかける問いって、問いかけられる側(答える側)がいまどんな時期なのかによって、その人に必要な問いが変わると思うんだよね。。こういう記事の、この問いさえあれば!みたいな迫る感じがあまり好きじゃない。

(あと、他者からの問いかけも大事だし感謝するが、私は自分に必要な問いを自分で生成するちからも身に付けたい。そうすればより善い方へ自分を導くことができると思う。)

 

1回目読んだ感想。。

よ、読みにくい。。と思った。すごく読みにくい。最初の1段落の時点で、意味が分からなくて困った。

私だけが読みにくいと感じているだけで、他の人はこれをすらすら読めるのかなぁと思った。

最近ビジネスでは「目的意識」という言葉がよく使われます。自分のやっていることを好きになりたい若者はこの傾向を非難していますが、社会が発展するにつれ、私たちの自己実現欲求はマズローの欲求階層に従って上がっていきます。著名な心理学者のマズローは、人間のやる気は満足感を得ることが元になっており、個人の成長に従って変わると言っていました。

単語の定義があいまいなまま、また次の単語なり文なりが出てくる。

*ビジネスで使われる「目的意識」って何。つまり「仕事の目的」に対する意識ということ?どんな場面で誰がどのようにその言葉を使ってるのかが分からない。

*自分のやっていることを好きになりたい、がもやもや。

「自分のやっていること」とはどういうレベルでの「やっていること」なのだろう。(ビジネス?趣味?ボランティア?勉強?ブログ?インターン?具体的に、なに?)

そしてそれらを「好きになりたい」という表現があいまい過ぎる。。

「好きになりたい」っていう言い方は、

その「若者」は今は「好きになれていない」という事実があるということでよい?

”「自分のやっていることが好きになれていない」若者がいて、彼らは「それらを好きになりたい」と思っている。”ということの根拠はどこにあるんだ。。

*~若者はこの傾向を非難していますが、

「この傾向」って、”「最近ビジネスでは目的意識という言葉がよく使われる」という傾向”、のことを言ってるのだろうけど、そもそもその傾向が誰に何をもたらすのかが分からないので、若者が非難しているらしいということは分かってもどうして非難するのかが分からない。

 

*いきなりの自己実現欲求

そのあとの「自己実現欲求」が何を指すのかも、

自己実現欲求が社会の発展につれ上がっていく”も具体的に何が起きているのを言っているのかが分からん。

””内を、”昔はAというラインで満たされていた「自己実現欲求」だが、社会が発展した今は、Aより上のBというラインに到達しなければそれは満たされない”と仮に置き換えても成り立つ?

でも肝心のAとBのラインが何なのか分からないので、人の「自己実現欲求」が満たされる状況も分からなければ、

そもそも「AとBを比べたときにどちらが上であるか」を判断する基準も分からないよ。(サルとライオンを比べたときにどちらが上であるか、って判断基準は体重なのか知能なのかによって違う。

その「自己実現欲求が上がっていく」ということが何をもって「上がる」としているのかの判断基準が分からない。)

 

1段落どころか2文でギブアップ。

ほんまに私分からないのだが。。さらっと読んでも分からないし、分解しても分からない。

 

ざくっというと、そのセンテンスの核となるだろう単語の定義がよく分からないまま、また次のセンテンスが現れるので、文自体もよくわからないし、文と文がどうつながっているのかがよく分からない。

 

とすごくいらいらしてたら、実はもとは


What’s Your Purpose? Look to Your Core Challenge | Inc.com

という記事だったらしい。

そしてどうみても英文と翻訳版とで受け取るニュアンスが違う。

 しかし、「目的」というのは妙なもので、人によっては必ずしも役に立たないことがあります。

 

⇄Well, purpose is a tricky thing. What provides it for one person doesn't necessarily for another.

 この英文は、”ある人にとっての「目的」は他の人にとっては必要ではないこともある。それをtrickyだね”と言っているってことなんじゃないのかなぁ?

棚卸し 20150123

あれあれ、自分の性質の話してないや。。

 

私さっきふと分かったことがある。

自分は「言語化」にこだわりがあるのだが、その理由が分かった。

 

言語化の感覚って「世界が平らにならされてゆく」感覚なのだよね。

凹凸の激しくめまいのするような世界が

それまで遠くまで見渡せなかった世界が、

視界を遮っていたものが平らになって

広くひろく、遠くとおくまで、見渡すことができるようになる。

 

そっかーそっかー、でこぼこがたいらになっていく感覚なのだなぁ。

そこからふりかえってみると、私が苦手だなぁとか嫌いだなあとか思う単語って、やたらとその時そのときに感じる単語の感覚に差があるのだよなぁ。単語の強弱や、大きさや、表面の感触だったり色だったりがまったく一定じゃない。

愛とか優しさとか共感とか分かるんだけど、分かるんだけど、どうも単語の感覚としてのウェットな感じがあまりすきじゃないんだよね。なんと不安定な言葉なのだー。

 

私が自分と性質・感覚が一致すると思っている人も言語化にはこだわりがあって、やはりその人の言葉って平坦なのだよね。(だから、受け取り手によってはそれを冷たいとか機械っぽいと感じる人もいる。)