iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

還幸祭と夜のちから

今日は、京都でボランティアのサポーターの活動をした帰りに、

朝知り合いの人が”今日は還幸祭という祭りがあって、とても神秘的だよ。”と言ってたのを思い出し、

還幸祭に行こうー”と思って一緒に活動してたサポーターの人とふらっと八坂神社に行って見てきた。

 

夜の八坂神社はなぜか今週だけで2回目なのだけれども、やっぱり神秘的で素敵。

そして普段は祭りとかに全然興味を示さないけれども、掛け声や手拍子や全体の一体感にどんどん一緒にいた人が巻き込まれているのをみて、「あぁこれが祭りの雰囲気か」と思った。(昔どっかで読んだ、「祭り」の持つエネルギーについて書かれた文を思い出した。なるほどー。。

 

還幸祭では、祭りでの巡行を終えた神輿が集められそこに宿っている(でいいのかな?)御霊を、神社に返すそうです。

ちょうど神社に着いたのが23時過ぎで、最後の御霊をお返しするところは直接は見れなかったけれども、境内の灯りがすべて消えた瞬間には立ち会えた。

 

ちょうど裏を歩いていたので神輿がうつされるところは見ていないのだけれども、誰もいないところで灯りがふっとすべてなくなる瞬間に、なぜかすこし泣きそうになった。

終電ぎりぎりだったりして、味わいきれなかったような、でも短い間だけど確かにそこに飲まれていた。そんな感じ。

 

自分が感じていたのは、神や祭りというよりは(私にはまだよく分からないです)、「夜のちから」なのだと思う。

私の好きなFoZZtoneという人たちのMorroWという曲に、

嵐を待ってる気分に近いだろう

込み上げる夜の力

やけに冴えた目が

君と 世界を静かに捕えてる。

という歌詞があって。

今日の夜は、そのちからが、込み上がってきた。

(今日は深夜だったので、空は白みだしてなんかないんですが。

 

帰るときたまたまだけど、いつもは乗っている自転車ではなくて 、夜の街を歩きながら帰ってきた。

救急車の音も、だだっぴろい車道に光る信号の赤も、そこにただのびて何かを分かつ白線も、私が近づくと泣き止む虫も、夜になりきれていない空も、あぁ夜のちからだなぁと思った。

 

そして里山での夜の対話も思い出した。夜にしか出てこないものを探してみた、家族と愛について語ったnight dialog。

暖炉の火を見ながら昼だと出てこないものが出てきている感覚に出会った。

 

夜のちからはあまりにもおおきいです。