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私はわたしを手放して息のままに在りたい

自分の身体について備忘録

10月の半ばの台風のあと、一気に冷え込んだ。

京都は一日の寒暖差が12度ぐらいあったりと、その変化に適応できなくて辛かった。

そんなわたしのからだについて備忘録。

 

*自分の思考(頭)では引き受けられない・気づけない領域を身体や心は引き受けている。

心と身体はたがいに影響し合う、心身(身心)一如。

この考え方に出会ったきっかけは、「あわいの力」という本に出会ってから。

あわいの力 「心の時代」の次を生きる (シリーズ 22世紀を生きる)

あわいの力 「心の時代」の次を生きる (シリーズ 22世紀を生きる)

 

 古代の人間は、子宮で情動を感じていたという話が何回も出てくる。

何千年という昔を生きた彼らと、2014年の今を生きる自分との間にきちんと流れる、人間の「身体」の普遍性をこの本を読んで感じた。

そこから身体感覚や身体性に重きをおく、フォーカシングや瞑想(meditation)、ヨガ、マインドフルネスなんかに興味を持ち始めた。 

(まああまり「このやり方が一番だ!」と決めたり、本に書かれていることだけを信じてその通りやることが苦手なので、 ぼちぼち。。)

 

今年の4月に肩甲骨がつまる感覚に2週間ぐらいずっと襲われたことがある。

(正確にはそれまでも肩甲骨に違和感を持っていた気がするが、自分がそういう身体からのメッセージを無視し続けていた。)

凝るではなくて詰まっていて、回したり揉んだりしてもそれでは届かないもっと身体の奥に何かが詰まっている。「何か生える。羽かキノコか、とりあえず何か生えるぞこれ。。」と思ったことがあった。 

原因も消し方も分からず、つきまとうその詰まりに、そして自分の身体に、

すごくイラついていた。(ちなみにほんとにイラつくと私は首の後ろが瞬間的にちりっとする。

 

自分ではどうしようもなかったのでぼやいてみたら何人かの人が、

・まずは自分の身体に感謝する。身体にいつもと違う異常が現れているのは、あなたが頑張っているから。頑張っているあなたにも身体にも感謝してみる。

・その後(物理的に)身体を緩める。熱いお風呂、ヨガのポーズ、ストレッチ。

という二つを勧めてくれた。

やるなら家じゃなくて自然の中でやりたいなと思ったのでよるの海辺でそれらをやってみた。

特に肩甲骨あたりが脱力できる姿勢になって(そのときはうつ伏せ)、まずは感謝する。怒りをもって身体を責めるために近づくのではなくて仲良くなろうとする。

そのあと問いかけた。”あなたは何を抱えているの?””あなたは私に何を伝えようとしているの?”

そうすると不思議で、答えが分かる。その日分かったのは、その肩甲骨のつまりは私が無意識のレベルで感じていた辛さやしんどさから私を護っていた。私が気づかないそれらを私が小さいころから引き受けていた。

それに気づいたときに、自然と涙が出ていて、そうか私も身体もこんなに頑張っていたのだと。そのことに自分はこんなにも気づいていなかったのだと思った。

 

そんな夜次の日は、びっくりするほど肩甲骨のつまりがなくなっていた。

物理的な解決よりも、精神的に肩甲骨を認めて許せたからだろうなと思った。

 

それ以来、自分の身体を少しは意識するようになった。

 

*自分は自分の身体のことをまったく知らない。という前提。

今年の4月にあったその出来事がある意味自分にとって大きな意味があったのだけれども、やっぱり肩甲骨のつまりやそれ以外の身体の不調が無くなるというわけではないので、いつの間にかまたイライラするようになっていた。

特に今自分のキャパを広げようとしているこの時期に、台風の寒暖差もあってずっと不調が現れていてイライラしていた。心は元気なのにどうして身体はついてこないの?(ほんとに自分の身体がうっとおしい。足を引っ張りやがって、と思ってた。)

 

物理的に変えるということも勿論必要だ。特に今までまったく気を使ってこなかったから。

特にこの時期だと負担のない適度な体温調節。

ただ私そうやってわざわざ「自分の身体を気に掛ける」「大切にする」ということがめんどくさいことにしか思えない。人のことならともかく自分のことなんてなんでそんなに気にしなきゃいけないのだ、と。

自分のことだけど、自分のことだから、ほんとめんどくさい。

 

 

そうやって身体を責めながら、めんどくさいと思いながら、上手くいくわけがない。

参ったなぁどうすればいいんだろう、と困っていたら、ふと気付いた。

「自分は自分の身体を知っている」といつの間にか、そして当然のように私はそう思っていた。ほかの人もみんなそれぞれがきちんと「自分の身体を知っている」ように見えていた。

他の人は出来ているのにどうして自分は、と人と比べて、

身体を大切にしていない自分や身体のことを無視し続けていた自分を責めていた。それを身体のせいにしたりしてたんだね。

 

だから「自分は自分の身体のことを知らない」と認めてあげようと思った。

するとその瞬間、自分が楽になった。

「知らない」って認めてもいいんだと思えたから。

「知っている」と思うと、身体からのメッセージに「あぁそれはこういうことでしょう」と勝手なフィルターを通してしまったり、知っているから相手(身体を)コントロールできると思ってしまう。そして「知っている」が前提だと「知っているはずなのに、知らない」ということが出てきたり、それに気づいたりするのが恐怖になってしまう。すると「知っている」中だけでどうにかしようとしてしまう。(これは人との関わり方と一緒だなぁ)

 

身体の癖も、何が苦手で何が得意なのかも、今内側で何が起きているのかも、体温も脈の速さも、いつもは右がつまる肩甲骨がどうして昨日は左がつまっていたのかも、私は知らない。何も知らない。

そんなふうに捉えなおすと、

私に対して発せられる身体からのメッセージは

とても新鮮だなぁと気付いた。

 

共感するためには、相手を新鮮なまなざしで見つめることが必要なのだ。

人に対しても身体に対しても。

 

 

*メモ。身体の癖をリストアップ。

・平熱は36.7℃。たぶん。

・自分が思っているよりも日焼けしやすい。

(夏は外に出て帰って来ると顔が痛くなる。その顔が痛くなることはしょうがないと去年まで思っていたがどうやら日焼け止めで楽になるらしいと今年ようやく顔の痛みと日焼け止めがつながった。)

・体温調節がへたくそ。

中学の時に、塾でずっとダウンを脱がずに過ごしていたせいかもしれない。

暖房を入れると顔がひりひりするし、冷房をつけるとくしゃみと鼻水が止まらない。(が、去年まではそれらを無視していたので自分が「エアコンに弱い人」に当てはまると思っていなかったw)

今年は湯たんぽ頼みだなぁ。

・喉が絞まる

ヒステリー球というやつだろうか。(中学の時は毎朝のどが絞まる感じがして、実際吐いたりおえっとするだけだったりだった。)原因はストレスらしいが、「今の自分にとってこれがストレスだなぁ」というストレスの感覚が私分からない。(変化に弱いので基本的にはあらゆる刺激がストレスともいえるんじゃないかなぁ。)

これを感じるときは自分は何かをストレスに感じているらしいという目安にはなる。

・立ちくらみ

最近無い。

・寒暖差アレルギー

(寒くなると鼻がひりひりむずむずするのは、ちゃんと寒暖差アレルギーという名目がついているらしい。昨日はじめて知った。)

・偏頭痛

キャパを超えると、偏頭痛に襲われる。(頭痛と吐き気がセットで動けるようになるまでに大体二日ほど。)この2年でだいたい半年に一度の頻度。予兆は、視界がぼやける。

・一年のうち半年ほど、昼・夜ごはんなしでエネルギーがまわる時期がある。

これはあまり害がないので問題視してはいない。

・自分の身体を雑に扱っていると肩甲骨のつまりが主張し始める。

これは日々身体を観察する時間をきちんと設けてやればうまくつきあえる気がする。つまりが目立ち始めてからでは遅いしイライラするだけだ。 

 

・自分のキャパを越えていることに自分では気づかない、というのも課題だけれども、こっちはめんどくさいので後回し。。

 

おそらく人によってこの癖は全然違うのだろうなぁ。

 

自分の身体に意識をやる、って学校で教えてもらってもいい気がする。

体育保健でいう自分のからだを大切にしましょうって、「飲酒や喫煙、薬物はからだに良くないです。からだに良くないことはしないでおきましょう。」という話だよね、おそらく。

中学の時に毎朝起きると喉が絞まっていて台所に吐いてから学校に行っていた生活というのは、今考えれば”何かストレスがあって身体がメッセージを発している”と気付けるけれども、中学生の時はそれがちょっとめんどくさいけど普通だと思っていた。(親は朝早かったのでそんな私のこと知らなかったし。)

自分の中学時代の話は特にどうこうという話じゃないが、こういう身体からのメッセージが個人的にも集団的にも蔑ろにされがちであるということの1つなのかなぁと思っている。(病気以外は、気にしすぎたらだめだ、みたいな感じ。)

蔑ろにされがちだけど、こどもにとってもおとなにとっても自分と付き合っていくには必要なことなのだろうなと思っています。