問うことと、学びの練習を設定すること
なんだろう、こう波ががっと来た。
高校生に私がすること。
1つは、問いかけること。
自分がこの4ヶ月ほど担当している子は、「ネガティブさや先取り不安のような負の感情に囚われることがある人が(内も外もふくめて)居場所を無くしてしまわないようにしたい。そのために、自己肯定感を妨げている負の感情を、上回るような自己肯定感を(来た人が)得られるような場を開きたい。」
と言っている。
ここに至るまでにそれなりに時間をかけたが、それでもまだまだ言語化できているわけではないのだろうなぁと思う。(4ヶ月一緒にいるので、他人が見たら私以上に分からないし、ハテナを浮かべる部分も多いと思う。)
上のは彼女の目的なのだが、それでもまだまだイメージとイメージをつなげなければ、企画のストーリーが流れないきがする。言い方を変えるともっと深められる気がする。
だから私は”ここであなたが言う「自己肯定感」ってあなたにとってどんな実感?”と問い、”自己肯定感と負の感情ってどんな関係やとあなたはイメージしてる?”と問う。
私個人の話をすると、自己肯定感って好きな言葉じゃないし、負の感情と言っても私たちが勝手に感情に正負をつけていているだけで、本来は”感情は感情”なのだと、私は考えている(頭で分かっても腹には落ちないが)。
でも不思議と、彼女の言葉を前にするとそんな私個人の考えは後ろへとまわって、
興味と関心から生まれる不思議なエネルギーを伴った何かの力が相手へとそそがれる。
彼女は、どんな思いで「自己肯定感」という言葉を使い、
どんなイメージをもってそれ(自己肯定感)をもう一つの彼女にとってのキーワードである「負の感情」と結びつけているのだろう、と。
答えはその人の中にある、というのはこういうことか、と少し思った。私と彼女の間に自己肯定感について絶対的な答えがあるわけではなくて、私の中に答えがあるように、彼女の中にも答えがある。その答えにほんにんが・私が気づいていないときだってあるし見たくなくて隠してしまっているときだってあるが、それでも相手の中に答えはあると思って、問うのだろうなぁ。
相手の中の答えに自分のエネルギーを注ぐとき、私はすごく自分を感じる。今はそれしか言えないが、おそらく自分にとっていいループの証なのだろう。
そして嗅覚のような、”相手にとって必要な答え、にたどりつくための問い”を捜し当て力をもっとつけたいなぁと思った。
そしてもう一つ。
学ぶための練習を、設定することなのかなと思った。
学びそのものというよりも、本人がより学ぶことができるための練習を私が設定する。
たとえば上の子とはこないだMTGをしたのだけれども、その間私は彼女が手で書いてきた企画書みたいなのと、それを説明する彼女の言葉を企画書みたいなのとしてワードに打ち込んでいた。
まず彼女が自分なりの企画書と言う形で、自分で、目的を達成するための方法(ワーク)を考え、イベントが始まってから終わるまで流れるのに必要な要素を考えそれをワークにし、ワークの順序を考えてきたこと(はじめと終わりのあいさつ、アイスブレイク、自己紹介、ワークの説明、休憩が入ってた)、それらの時間配分を考えてきたこと、というのは彼女の強みだなぁと思った。(あと、目的を達成するために、ワーク(目的へのアプローチ)を2段階に分けていた、というのもおもしろいなぁと思った。)
(これはあなたの強みだと思う、というフィードバックをし忘れたので今度しよう。。)
他人のために何かを考えるのが好きなのだろうなぁと思った。好きというか、そこにエネルギーを注ぐことができる・苦じゃない。エネルギーを注ぐにはおそらく、湧き上がるエネルギーと、自分に適した注ぎ方に出会う必要があるのだと思うが、今回のそれがそうなんだろうなぁーとぼんやり。
あと感覚と論理性が入り混じっている。(私もそのタイプだが。感覚で入れて、論理で出す。)
感覚の方は、彼女にもっと話をきかなければ分からないが、このプログラムを通して彼女の論理性を試す(試しながら磨く)練習を設定することが出来るかも、と思った。(磨くと言うよりも、視点を身に付ける・視点という引き出しを増やす、に近い。)
まぁ、私が過去にそうやって人から与えてもらった(と今になってようやく気づいた)ものを循環させるだけなんだけど。
それが企画書と言う形。前は彼女が書いてきたのだが(おそらくあれは、本人的には企画書というよりも自分でアイデアや考えをだして、まとめてみた形なんだろうと思う。)、今度はそれを、「イベントをつくる」というちょっと大きな枠に捉えなおして、そこから必要な要素を考えて作ってみるようにすればいいと思う。(という提案を次回しよう。うーん、いきなりするのもあれだから、先のフィードバックをして、企画をつくる流れについて考えをきいてからにしよう。
彼女の言葉を記録し、企画書に落とし込んでいると、私にも論理的なスイッチが入るのが分かった。ここまで明確に入るのは久しぶりかもしれない。やっぱり気持ちいい。大きな枠と、流れ、とまだ埋まっていない空白の流れが見えてきて、まとめるっていいなー論理的スイッチ持っておくと便利だし自分を取り戻しやすいなーと思った。その中で上に書いた一つ目の「問う」が生まれてきたりもして面白い。
たとえば。企画をつくるのに、目的・目標・手段をまとめてイベントのタイムラインを作成してきてねというのは他の子も言われてたりするんだけど、それを「いまあるものをいったんまとめて分かりやすくするために書く」とだけするのか、
イベントをつくることを通して思いを形にするために必要な要素を自分に問いながら・見つけ出して、さらにセクションと流れがある文章として整理するスキルを身に付けるために書いてみる、のを促すのかはこちらの意識として全然違うなぁと思った。そして結果的に高校生たちのアウトプットの質も違うものになるはず。(あと単純に字にして並べると、客観視できる。人に見せる意識も入る。単純にイベントのワークの内容だけ書くよりも、そこに目的をそれぞれきちんと書くだけで流れているのか流れていないのかがすごくよく分かる。その流れの意識と、流れていないところはどうやったら流れるのかを考える体力。)
前者は上のことだけ伝えればある程度はみんな書いて来たりするのだけれども、後者はこちらの伝え方と渡し方(渡すもの)にも準備がいたりする。どこまでこちらで準備して、どこからその子のpracticeになるのか。でもそれこそ学びの練習を設定している気がする。(後は個人差を上手く見ることができたらいいなぁと思った。さっきから自分が言っている子は私と似ているので色々分かるのだが、もちろん自分とは性質が違う子の方が多いので、そういう子たちに対しての強みとそれらを伸ばす学びの練習の設定の仕方も色々できるようになりたい。)
うーん明日も考えよう。そしたらこの半年探して迷い続けていた役割が少し私に近寄る気がする。。