マイノリティとマジョリティから解放されたい
マイノリティだ、マジョリティだということは何を示すんだろう。
民族とか言語とかセクシュアルとか病気とか宗教とか障害とか、そういうことなのか。
私は国とか地域とかの大きな話はできないけれど、目の前の人、単位の話なら。
場面が変わったり、何をもって別けるかが変わったりすれば、一人の人間が或るときはマイノリティになり、或るときはマジョリティになる。
ふだんはマイノリティな人たちが集まったところにふだんはマジョリティな人が放り込まれれば、その”ふだん”は簡単にひっくり返る。
目の前の人の属性が多数派か少数派かを分けたところでなんになるんだろうと思った。
「マイノリティの人のことも考えよう」、ってなんじゃそりゃ。
あなたもわたしもマイノリティ。
あなたもわたしもマジョリティ。
それでも、人間は自然にいるとその人の思考のパターンによって、別けられ、間に溝ができてしまうものなのか、とも思う。
どうやったらそこにある居辛さは生まれないのだろう。そし自分や相手の中に生まれた居辛さにどう応えていけばいいのだろう。
名前のないマイノリティ。
まだ、認識されてないマイノリティ。
自分でそれに、名前を与えよう。
(マイノリティからマジョリティから、解放されたい。