iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

想定されにくい人間

私の居辛さは、相手に自分という属性を想定されていないことから来ている。(って感じで書く。

 

居辛さについて、自分の属性や特質はダメなもの・人が持ってはいけないものという考え方や、その対極の(人はみんな)ありのままでいいという考え方、マジョリティかマイノリティかという話は少し置いといて。

 

誰かと一緒にいて自分が居辛さを感じるとき、

相手は自分が抱える属性について(そういう属性があるなんて、もしくはそういう属性を持つ人が自分と同じ空間にいるなんて)想定してないんだよー、

というシンプルな諦めから。

 

特に前から何回も「あー自分って想定されてないわー」と感じるのが、恋愛関係とそれに関連するもろもろの”好き”って感情について。

(以下は自分の特質のはなし。

・自分は異性も同性も年上も年下も、友達も先生もお世話になった人も大切な人も、みんな好きの量だとはかることは出来るけれども好きの種類でははかれないので「恋愛感情?はてはて」な感じ。”友達も恋愛も感謝も尊敬も変わらんやん”スタンス。

恋愛感情は分からないけど、この人と一緒に居たいって強く思う人はいる。

・でも相手は既婚者だったり自分の先生だったりするので「うん?恋愛感情なのか?」とも思う。そしてそれは同時に複数の人に対して一緒に居たいと思う。

あれ、複数恋愛者ー?とも思ったことがあるけどもういいや。

・あと自分が一方的に好きなだけだった人に、好きを返されたとたんにすんごい嫌いになってしまうことが3回ほどあった。異性同性限らず。(もともと今日はこれについてエントリーしようと思ってたのにだんだん違う話になってた。

 

まぁ「恋愛しようー」と切り替えてみることもこれからあると思うし、

自分の恋愛してみてからしか分からないこともある気がするーと思って放置。

(あと人に限らずわりと色んなことに、嫌いとか否定とかの気持ちから近づいていくことが多いのも私の特質。

 

そんな感じなので、人と話したり本読んだりネット見てたりすると色んな人の中には

恋愛感情は「この世の誰もが持つもの」という前提があるように見える。実感として分からなくもないけれども、やはり敏感になる。

「恋っていいよー」とか「誰かを好きになることはあなたの人生を豊かにしてくれるんだよー」とか言われるし、そういう言葉って身の回りにあふれている。

自分にそう言ってくる人とか、恋愛関係の話で盛り上がってるところに巻き込んでくる人とかに居辛さを感じてたんだけど

それはたぶん相手が目の前の人が無性愛者とか複数恋愛者とかかもしれないと想定して話してないから

こうやって書くと、そりゃ居辛くて当たり前だろ、と納得。

属性潰し的なものは一対一でも行われるんだなぁ。

 

 

なんか自分にとって分かりやすいのが恋愛と呼ばれるなにかだったのでそれについて書いたけど、属性とか特質とかをひとつひとつ名づけようとするときりがないぐらいにいっぱいある。

あらゆる属性を、属性の淵の淵まで想定しながら過ごすのも無理だから。(自分もできないし、相手にそれを求めているわけではない。

 

ただ、自分が居辛い時に「あぁ相手(もしくは、この場)は私の属性を想定してないorできない人(場)なんだな」ととりあえず諦めてしまうのはなかなか有効かもね、ということが言いたかったの、かも。しーれない。

(昔の私は、相手は自分のことをちゃんと想定してくれていると勝手に思い込んでいたので、「いやいやあなたみたな人はそもそも想定されてないのかもよ」と人に言われてはっと驚いたことがあるー。

 

ついでにそうやって諦めた後に、

・ほんとに想定してないのかどうかを確かめてみる

・相手が想定してないなら、実はこんな属性もあってさっきはこう感じたよ、と伝える

ことが出来たらいいなーと思う。相手に歩み寄る的な考えで。

 

でも「そんな考え方や感じ方をする人がいるんだー」と”驚かれ”て終わるのは、うーん分かるんだけど、もやもやするんだよなぁ。

 

普段想定されていないと感じることが多いけど、

やっぱり同時に想定していない側であることもあるので、

どちらにしても”想定を越えているものが目の前にあること”に気づいたあとにどうするのかが大切なんだろうな。