iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

<自分の役割を確かめる>を更新する

昨日自分が関わっている活動について、個人的にふりかえりをしたのでその残骸。

それは高校生のシチズンシップを育てるというプログラムなのだけれども、

どうしてこの活動にコミットしようと思ったのかというと

「自分の役割を確かめるべきだから」だった。

 

んーでもこの<自分の役割を確かめる>をそろそろ更新するべきだなぁと思ったので昨日ふりかえりをしたのでした。

 

そもそも<自分の役割を確かめる>って何?

自分は人として生きている以上、自分以外の他者に対して何らかの影響を創りだしながら生きている。ただその自分が創りだす影響について、今の自分は無自覚な状態である。他者にとっていい影響も悪い影響も。

無自覚な状態では、生かすことができないのだ。最悪、せっかく創りだせるようになったいい影響を、無くしてしまうこともあるかもしれない。

 

どんな影響をつくりだして、その結果どんな働きかけを他者にしているのか。

どんな影響ならつくりだしやすくて、逆にどんな影響はつくりだしにくいのか。

それによって何が起こるのか。

自分が創りだす影響にたいして自覚的になる。

それが自分の役割を確かめるということ。

もしかしたら自分が全然思っていないところに自分の役割はあったりするのかもしれないが。。

 

同時にそれは「自分が自分を導きたい方向がどこなのかを探しあてる」ことと同じ歩みをたどっている気がする。

自分が創りだす影響と、自分を導きたい方向。

なぜだか分からないが、この二つは私の中で響き合っている。

おそらくどこまでも他者ありきで人のために生きるということが決定しているからだろうなぁ。

 

<では自分はどんな影響を創りだしているのか?>

この問いは答えるのが怖い問いで、できれば問いたくない。

ただ影響に自覚的になるためには避けられない。。

 

私がしていること、そしてしたいことは、

「聴いて問いかけて、相手に還す」

なのだ。

相手に還すまでが私のすること。

相手に還した結果起きることが私のつくりだした影響。

自分は必ず何かを相手から受け取っている。

だから私はそれをカタチは変わるけれども、相手に還したい。

 

よく「相手に寄り添いたいの?」ときかれるけれども、「なんか違う。。寄り添うは、違う。。」と思ってた。昨日なんで「違う」のかが分かった。

寄り添うは、相手の隣にいる感じがする。

そうではなくて、私は瞬間、相手と正対していたい。

鏡のように。辞書のように。

私自身は、ずっと正対されるのは迫られている気がしてしんどい。でもどこかでいまかもしれない、という正対するタイミングがあると思う。

だから相手の一番のタイミングで正対するような人でありたい。

 

創りだした影響。

自分がしていることって、その人の内側にあるものをその人自身が言葉にしたり可視化することを手伝っているのかなぁと思った。

昨日はループ図をつかってひとりの高校生の内側で起きていることをホワイトボードに書きだしたのだけれども、出来上がったものを見たときに、

「これがこの子の内側かぁ」と思った。

私は直感で気になった部分をその子に問いかけて、相手の言葉をそのまま書いていくということしかしてない。

相手は私の問いにこたえるということしかしていない。

でもそのどちらもいなかったらこの図は描けなかったなぁと思った。

創りだした図の完成度と複雑さに、お互い驚いていた。

自分一人ではできなかった、まさに協働。。

 

もともとは「負の感情を吐き出す場所がないと、一人で抱え込んで、自分の居場所がなくなる」というところからスタートした。

吐き出す場所がないとどうして一人で抱え込むの?それはどういう状況?

ひとりで抱え込むとどうして自分の居場所がなくなるの?

それらは、「繋がっていないよそれ」ということではなくて、それとそれを埋める何かがあなたの中にもっとある気がする、という興味からの問いかけ。

そうすると、思い込みだったり自己否定だったり、自分の内の居場所、外の居場所、基準を人にもとめながらも排他的な自分。色々出てきた。

 

その子が「自分ってこんなこと思ってて、しかもそれらがこんな風に繋がってたんだ、と思った。」と伝えてくれた。

ある人が「こたえはあなたの中に、その人の中にしかないよ」と言ってたけれども、

こういうことなんだろうなぁ。

相手の中にあるものに興味を持つことが幸いにも私はできる。(誰に対してもそれができるわけでなないけれども。)だからそれを生かせればいいなぁと思った。

 

そう。その子は私に対して「引き出してくれて」と言われたけど、「引き出す」は私の中ではもうホットではなかったりする。

その人の中にあるものをその人に見えにくくさせているものをひとつひとつはがしたり、そうすることによって相手の主体性があふれるようにしたい。

そしてその始まりは純粋な相手への興味。

 

結局「こんな影響がつくりだせる」「こんな影響をつくりだしたい」といま言葉にしてgraspするのは違う気がした。

「聴いて問いかけて、相手に還す。」

そうやって自分の役割を果たした先に何が起こるのかを見に行くのが、

私のこれからだなぁと思った。