iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

うーん、うまくいかないなぁと思って思わず投稿。

私が高校生にすることは、問うことと学びを設定すること、とこの前書いた。書いたのに、おそらくそれ以外のことをさっきしていたんだろうなぁ。(具体的にはアドバイスというか口出しと言うか。。)

 

イベント広報のチラシをつくっているのだけれども、そこに載せる文章がなぁ。。と思って口出ししてた。

文章がなぁ、、というのは、魅力的かどうかということではなくて、

言語化されていない気がするのだよなぁ。。(それは、初めて見た人には、あなたの言いたいことは伝わらないよ、、ということ)

 

チラシは、自分が届けたい人にきちんとイベントのことが届くようにする手段、だよね。

だったら届けたいことを、届けたい人に、届くようにする必要がある。届くって、おそらくそれは物理的に(広報先、広報手段)、かつ感情的に(メッセージ性)。

 

彼女は満足度高めで文章のたたきを出してくれるんだけど、私からするとそれは言語化不足、なのだよなぁ。。

「初めて見た人にとっては、その単語が何を指しているのか明確なイメージが分からない。(ふわっとしている。)」

「あなたとやり取りしていて、あなたが本当に大事にしていることはこのふれーずに込められたものではない気がする。」

「あなたが想いとして持っているものと(それはまだ言語化されていないからそれが何かは私もまだ分からない)、この単語を文章を初めて見る人が受け取るものとの間に差がある気がする。そしてその差が私は無視できない。」

これらを彼女に伝えはしたが、納得していない様子だった。

 

結局、「あなたが伝えたいことはなに?」ということになるのだけれども、この問いにもふわっとした答えが返ってきた。うーむ、つまり、彼女自身が自分のしたいこと、つくっていることを実は言語化できていないということなのかなぁと思った。(そのふわっとした答えが何を指すのかを明らかにするために「それはどういうこと?」と問うたけど、「うーん」とそこで彼女が詰まった。)

 

うーん。うーん。

書いていて、なんかもう言語化にこだわらなくていいのかなぁと思った。や、そもそも私が言語化にこだわるのは、チラシを作るうえでの分かりやすさ=届けたい人に届けたいものが届く確率を増やすこと以上に、

その人にとって明らかなもの・核となるもの(今回なら企画に込めた想い)はきちんと言葉にして持っておくべき、という考え方があるからなのだろう、な。(だから、私からの問いに対して、最初にふわっとした答えが返って来るのはなんとも思わないが、そこから言語化を促すやりとりを続けても相手の答えがふわっとし続けるのは、私あまり好きになれない。。私の力不足なのかなぁ。。うーむ。。)

が、が。(私はあまり好きじゃない考え方のだが、)「これは高校生には要求が過ぎる。」のかなぁ、、と一瞬思ったので、さっき「言語化にこだわらなくていいのかなぁ」という言葉が出たのだと思う。もしくは私個人が言語化にこだわりが過ぎていて、彼女と合わない。(私言語化と言う言葉好きだ。)

 

うーむ、うーむ。

彼女は、ある特定ふれーずに対するこだわりを結構持つタイプ。が、そのフレーズがふわふわしてる、そのふわふわしたフレーズのまま進めていくので後で困るのだなぁ。。後になって、これって何を指すんだっけ、、&え・これってよく考えたら他者には通じないよね、、とよくなる。(今がその”後になって”。)

 

私も彼女の文章をずっと見ているので、「言語化されていない」「伝わらない」感覚がしすぎていて、意外と第3者からすると「分かる」のかもしれない。。(私の心配のし過ぎ。)

 

あー分かんなくなってきた。情けないけど、私が求める言語化レベルに達していない彼女に対するいら立ちもあるのだと思う。

感情を味わってから、次どうするのか(何を手放すのかも含めて)考えよう。。