かぞくの哀しさ
とてもかなしいことだなぁと思ったことを。
どの家族にもその家族特有の”哀しさ”ってあるのかもしれないが
私の家族にも”哀しさ”があって、私が思っている以上にどうにもならないのかもしれない。
起こった出来事でいうと”父親がある日突然家族を捨て家を出た”ということが
この家の一番の分かれ道であるのだけれども、起きたこと自体よりも
そこに至るまでと、
それによって引き起こされ今も続いているものの方が哀しさの根源なのだ。
(なんか親に対してはほんと感情的になるので観察が難しい。昨日はじめて親と話している時に腹立たしさよりも哀しさが上回った。
ひとつひとつ整理しよう。
〈そこに至るまで〉
4歳ぐらいの時には親の仲が悪かった。
(以下、*は場面的な記憶。私の特質の1つなので多いけど記載する。父親は父で母親は親。)
*ある日曜の夕方に私が父とデパートに行こうとすると、親が拗ねた。親は新聞を読んでいたのだが目も合わせずにただ声だけは不機嫌そうに「勝手にすれば」と言われて、私父とデパート行きたい気持ちがあって、親に「勝手にすれば」と吐き捨てられてひるんだ私に父は「行こう」と声を掛けたのだけれども、辞めた。「ちびまるこちゃんあるからいい。」と言ってやめた。でもそれで親は気持ちと声音が戻るわけでもなく父は父で寂しそうだった。
*雨が降る夜に、親が父と喧嘩して(原因は覚えてないけど。。)傘一本で家を出ようと玄関でパジャマのまま長靴をはいている親を、泣きながら止めた。
*こどもの頃は保育所にかよっていて、行きは父が車で送ってくれて帰りは親が自転車で迎えに来てた。たまに行きを親が担当することもあったんだけど
私ある日家で”今日はお母さんがいい”とだだをこねた。なんでか分からないんだけどその日は強くそう思った。でも親はその日時間の都合で送るのが難しくて、父に何度も行こうと誘われたんだけど、行かないと繰り返してた。
*父はしばらく家に帰ってこない日々が続いていて(1回あたり何日間だったか分からない。4歳とかの私にとってはすごく長く感じたのだが3日とか3週間とかかもしれないし3ヶ月とかかもしれない。そうやって帰ってこないことが複数回あった。)
そんな父が久しぶりに家に帰ってきたら、二人は話し合うというか、険悪な感じで向き合ってたのだけれども、私なぜか親によってそこに無理やり居させられた。(12離れた姉と8離れた兄はその記憶の場面にはいないんだよね。。)その時間感じていた無力感とか、”ここに居たくない(でもそれは絶対言えない。それを伝えて、ここから離れたら残された親が泣く。)”とか”どうしてお父さんはお母さんを泣かせるの”と責める気持ちとかは思い出せる。
両親の不仲でいうとこの4つか。
子供の私は、親に泣いてほしくなくて、
かつ”捨てられそう”な不安をわりと強く感じていたんだなと書いていて思った。
父親が家を出ていってことで分からないのは、”どうして、と、いつから”、なのだ。
どうして。おそらく女関係なのかなぁと思わなくもないが、ある日突然ほんとに帰ることなく家を出て、親も「私だってなんでか知らない。私が知りたい。」と3年ぐらい前に言っていた。(それでも夫婦なのだから私よりは知っていると思うが。)
どちらかというと”いつから”の方が私にとって大きい。
こどもを1人生んで、4年後に2人目を生んで、その8年後に3人目を生んで、
その5年後に家を出た。
どのタイミングで何がきっかけですれ違いが始まり、
どのタイミングで何がきっかけでそれが決定的になったのだろうか。
(このすれ違い、決定的、だっておそらく父と親との中では微妙に誤差もあるのだと思う。)
私が生まれたことが原因か。と思ったことがあるし今も若干思ってる。
「でもそれは、両親に(特に父親に)確認してみないと分かることはないよ。」と人に言われて少しおさまった。
〈そこに至った時〉
保育園の前じゃなくて後かなぁ。。
*夕方だった気がする。が、夕方に父と一緒にいるって、送り迎えのことを考えると少しおかしいので、父が私と話すためにイレギュラーかつ少し早目に(親の迎えはだいたい17時とか18時とかだった。)私を迎えにきたってことかなぁ。
寝室で、私と父が向かい合っていた。
そして父がひざまずいて私を抱きしめながら
「お父さんはまた家を出るけど、
もう今までみたいに帰って来ることはないんだ。
お母さんを頼む。」と言う。
今思うと、この「お母さんを頼む」と抱きしめながら言われた言葉は
薄い呪いみたいな言葉だ。
おそらく私が彼が家を出る最後に会ったのだ。
その後ひとり寝室で立ち尽くした気もするし、玄関で見送った気もする。
泣いた気もするし、でもすぐに泣き止んだきもする。
親に父がそう言っていたことを伝えた。
その時に泣いた気もするし、我慢した気もする。
他の2人(姉と兄)にとってもそれは突然だったみたいだ。
まあそうやって彼は家を出た。
どんな心境だったんだろうね。
なぜか父を憎んだり赦せなさを感じたり責めたりしたことはないんだよね。
迷惑だなぁと思ったりはしたことあるし、父親がいないだけで”ないもの”ってやっぱりあるのだけれども(私愛着を感じる人には人一倍父性を求めている。)、父よりも親の方への赦せなさの方が強かったなぁ。
私自分の家が環境として良くはないと気付いたのが17歳の6月。
17歳は私にとって、自分の過去の捉え直しを始めた時期。
reframeと言う言葉が良く合う。
毎日自分の過去の思い出を引っ張り出してはそれを見て泣いてた時期だったと思う。昔の自分は耐えていたのに、17歳になって耐えていたこと自体も含めて耐えられないと思っていた。(正確には、昔の自分は耐えるという選択をしていたのではなくて、恐らくそれに適合するしかなかったので耐える・耐えれないというわけではなかったのだなぁと思う。こどもの適合力ってすごい。)
18は、自分を知り始めた時期かなぁ。学校を辞めてインターンをしていたのでそれまでとは全く違う異質さの中で自分らしさを感じていた(し、教えてもらっていた)時期だった。
その時期は間違いなく、私よりまわりにいる人のほうが私のことを見えていた。
19の今は、過去の思い出を参考資料に自分を捉え直している。あ、これこそreframeだ。自分の輪郭を広げるのではなくてひくくちいさく凝縮しゆくように自分を削ぐのだけれども、自分をreframeしてるんだなぁと思った。
が、17の時に言葉になって今自分にのしかかっている。
「それって父親に捨てられたということだよね。」
「捨てられる」とはどこまでも受動的でしかいられないというか、
乗り越えられないなぁと思った。
私は最近まで親(父ではなく母)に対して被害者意識がすごく強かったのだけれども、さいきんようやくその被害者意識が剥がれているのを感じる。私が抱えたしんどさは親がつくったものだけではないし、私が親につくったしんどさもある。
50:50の関係にほんと少しずつ近づこうとしている。
「傷つけられた(という記憶)」から「傷ついた(自分がいた)」へと感覚が成ろうとしている。それは受動態から能動態へと乗り越えて自分の過去を引き受けようとしているのだと思うが、
「捨てられた」は、乗り越えられない気がする。
捨てるって、物に対する動作だと思うので、
自分がものとして捨てられた感覚。
ものが受動から能動へと自分を引き受けられるのかと問うと、それは難しい。
「捨てられたという事実」が「捨てられる(感覚)」として
自分に刻まれている。
(けど、感覚の発生源が分かっているのは少しましだ。まだ対処しやすい。)
あわあわ、この感覚はこのさきどう成るのだろう。
話がずれたけど、5歳の時に起きたそれの後の話の方が長く尾を引いている。
〈それによって引き起こされて今も続くもの〉
あー、何から書こうかと思ったのだけれどもほんとこっちの方が長いなぁ。。
いったん休憩。