iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

数直線を理解する

昨日、「なんかこのひといい!」とお話ししながら思った人がいたので、分解。

トピックは、

◎学びを体系化する、

◎働く意識

◎すきを仕事にする…?、

 

その人と話して思ったことは、

・この人の話し方(思考のプロセスとその伝え方)はすごく分かりやすい

 (もしくは相性が良い。どっちだろう。。)

・…なんか分からんけど自分のことをほめてくれる系の人だ!

・働くことがちょっと見えた。エネルギー分配の法則。

・前提をきちんと教えてくれる。

・意識のすり合わせを怠らないひとだなあ。

 

 

 ◎学びの体系化

いま私二つのところで働いていて、その両方の中で学んでいる感じなのだけれどもその学びを加速させたいなぁと思っている。あと、単純に私備忘録として言葉にして残すと次に行ける。

私、自分ってレポートとか文章とかを引き算で書いていく。どういうことか分解すると、100を目指していったん全部書く⇒ただ100で書くと細かすぎて伝わらない、分量が多くて人は読もうと思わないので、引いたり、サイズを変更したり、つぎはぎしたりする。(無くしても大丈夫なものを無くし、目が細か過ぎるものを大きくしてみたり、ただ無くすだけだとつながらなくなるのでつぎはぎする。)

その人は学びを体系化するという文脈の中で言葉にするという作業を、

”「要は、これ」という要素をまずまとめて、次にそれを説明する言葉を添える。””その時に「だれに、なにを、どうやって」という視点を大事にする。(なぜなら伝えると言う作業において学びを体系化すると、これに尽きるから)”と教えてくれた。

わたし、それを言ってくれたあとに自分の性質としての上に書いた引き算の話をした。

すると、100からの引き算方式は、まず100を目指そうとする丁寧さという意味でそれはすごく大切だと思うという前提をきちんと置いてくれた後に、

100から引き算の人が陥りやすい状況について教えてくれた。

その状況って、100伝える必要がない相手に対しても100で伝えようとしてしまうという状況で、それって有限性のある時間において無駄だよね、と。(特に仕事に関して。)あーなるほど、私そうかもしれない、と思った。そこであれなんだよね、さっき言ってた「だれに、なにを、どうやって」の部分がつながるのか。

 

その人は、「学びを体系化する」その目的は「自分が経験的に得たものを具体化して(人に伝え)、抽象を上手く循環させ次の人へと役立てるため」、という視点で話していて、じゃあ相手(自分以外の他人)に伝わるにはどうすればいいかという話をしてくれた。

私の中にある「学びを体系化する」のイメージは、学びを体系化すること自体が目的であり欲求である。(少なくとも今は。あ、だからこの文章って人に伝えるための文じゃなくて自分の内を搾り取るように言葉を紡いでいる。)

 なんか真逆のことを言っているのだけれども、

すごいきちんと直線状で繋がっているのを感じた。

たぶんその数直線が「だれに、なにを、どうやって」という直線であり、

「自分がこの学びを体系化する目的は?」という問いなのだなぁと思った。

 その人は、その両極端にある話をしているだけって感じだった。

 

だから今私の学びを体系化する目的は「自分のため」なので「自分に、なにを、どうやって」なのだが、

そうやって溜めたものがいつか「他人のため」に成ろうとし(たぶんそれは自然とえねるぎーがそちらへ傾く)、「この人に、なにを、どうやって」とも考える日が来るのだろうなぁと思った。

その時引き算も足し算もうまく使えるようになっていたらよいなぁ。

 

この話をしていて、このひとすごいなぁと思ったのは、私が数直線で表したその0も100も平等に理解している感覚だった。いったん自分的な100を設定してから作業が始まる・私は引き算タイプだ(100への設定はあくまでも準備)、という感覚を数直線の0地点だとしたら、100地点は足し算でつくっていく人。

いま0地点と100地点の話をしたけど、書いてて100地点がどんな地点かが私全然分からないんだよね。。何もない、を前提にスタートできて、そこから積みかさねたり浮かび上がらせたりするんだろうなぁというだけ。

ただ昨日話した人は、0地点のことも100地点のことも同じくらいに理解している気がする。それって一方しか知らないという偏りを持つ私としてはとてつもなくすごいし憧れる。私には見えて50地点なので、その倍の(もしかしたらそれ以上の)長さの数直線を彼は扱うことができるんだろうなぁ、、と思った。

そしてそれができるのは、おそらくその数直線がなにを表している数直線なのかと、その数字(0とか10とか58とか100とか253とか)がどうやって線に打たれていくのかを分解して理解しているからなのだろうなぁ、、と今書きながら思った。

(仮にわたしをある数直線上のどこかに置こうとすると、この数直線はなにを表すのかということと、かつ私に数字を割り振るための材料とか基準とかがどういったもので、どう使ってそれらを私に当てはめるのかを理解している必要がある。そしてはじめてこの人は50だ、とか言える。たぶん。)

 

なんかまだまだあるのだけれども、ひとまず投下。