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私はわたしを手放して息のままに在りたい

学びの契約

4月から(なぜか)不動産会社で契約社員として働くことになったのだが、その整理について。わたし、働くのか。。不思議だ。。

 

・もとはアルバイトとして入ったところで、不動産に興味があったわけでもなく、次のバイトは飲食じゃないものをやってみようーと思って、私「細かい」という性質があるので事務ならおもしろいかなーと思って面接を受けてみたのであった。

・学びの欲求が強くて、大学には行ってないけど自分を生かせる学びの機関(学校以外でもよい)に属したいと思っていることは面接の時に話した。

・親からの自立を考えて春から一人暮らししようと思っていることも伝えていた。

・んで1か月ぐらいしたところで契約社員としての関わり方を提案していただいた。一人暮らしのための物件も紹介してくれた。(いま自分が住む物件の申込書を自分で作ってるw。管理側、入居者側を兼ねている。)

 

ありがたいなぁありがたいなぁと思いつつ、私自分が成長できると思わないところだったら断っていただろうけど、契約の話を受けたということは可能性を感じているのだろう、が、ここら辺がまだまだ言語化できていない。

なんか面白いなぁと思ったのは、結局契約社員の話を受けるときに私が上司に話したのは、「今ある”私の周りの環境”という選択肢の中で、ここが一番自分が成長できると思ったから。」と言う話だけで、上司が応えてくれたのも「あなたがここで働いてよかったと思えるように僕たちはあなたを育てる。」という点だった。

契約社員は正社員に待遇面で劣るのは分かっておきや、と言われたが、お互い”私がいつか離れること”を前提というか、それを良しとしている(後押しされているぐらいだ。)。正社員は「会社のために」という前提で働いているから(待遇面で劣る)と言われたが、逆にそれって私が「自分の成長のために」働くことを認めてくれている気がする。

私が自分の成長のために働くことと、会社のためになることの2つが重なったところにおそらく給料が支払われていく。それは学びの契約だ、と思った。新しい、面白い、そんな働くがあったのねー。(それだけが何年も続いていくとは思わないが、だからこそこの1年は最大限の学びを自分から引き出そうと思った。でもおそらくこの会社のベースは人を育てる・人が育つことなので、何年関わっていてもそのベースは揺らがないんだろうなと他の社員さんへの接し方に見え隠れするものを感じながらそう考える。

 

私が喜びを感じる部分はほかにもあって、おそらく私は「どこに行っても自分で生きることができるようになりたい。」と思っている。この場所じゃなきゃ!という風にはなりたくない。それは日本の中でも、(今はぜんぜん分からないが)日本の外でも。そこに至る為の1つの手段なのだろうなこれは、と思う。

(仕事ができたら年なんか関係なくなる、と言われたのを今でも思い出す。

 

あともういっこ嬉しかったことがあって、それが上の学びの契約の感覚を確かにしたのだけれども、

ここ2週間ほど任されていた資料があって、それはフォーマットにある程度したがって違う性質の資料を5つほど作成していく仕事で、ひとまずそれが落ち着いたのが昨日なのだが、

一通り終わったことを報告したら「あなたはこの2週間、同じような資料を作成する中でどんな努力を行った?」と質問された。(んで、その問いは具体的な答えが求められている問いではなくて、私が自分がしたことをふりかえるための問いだった。今気づいた。ふりかえりを促す人か。これ、人間が人間にできる1つの役割であり、問いの持つ力の1つに成り得そうだ。)

 

何をしただろうー。。と考えてみたのだが、私がこの2週間で強く持っていた視点としては、速さと精度と伝達度だなぁと思った。

・私細かすぎて遅い、ということがよくあるので何とかしたいなぁと思っていた。が、雑な速さはいらないのだよね。

・私の精度は今のところ集中力に大きく依存しているので、集中力以外の力が精度を支えるようにしたいと思っていた。資料は、まず何を入力するかだなぁと思った。(何を入れて何を入れないか。)そして何を参照するかも手に持っておく(つまり調べる先の選択肢について知っておく。)

・そもそもフォーマットもないところからだったのが逆におもしろかった。(なんかこれはフォーマットがいるのではなかろうかーと思ってこっそり作ってみようと思って作った。)ひとつひとつに共通するものを見出しながらも遊びの部分(ぎゅうぎゅうに堅くしすぎるとフォーマットとしての意味をなさなくなるのだなぁ。)を持たせるのって面白い作業だなぁと思った。し、それはつくるものを理解していないとできない。

・伝達度?は、”自分以外の人間が後から見たときにも分かるように。自分以外の人間が同じことを任されたときにその人がスムーズにできるように”という視点の感じ。

はじめてする人の面白さってこれかーと思った。(ほんとは私の前にも同じことを少しだけ担当していた人がいたのだけれども何も言われなかった。私はそれをありがたいなぁと思う。たぶんその人が既に行って発見したやり方だったり進め方だったりが一番手っ取り早いのだが、それを知ってしまうと”いま自分がしているこのやり方を、速さ・精度・伝達度の視点からもっとよくするには”と考えるプロセスは私の中では生まれなかっただろうなぁと感じる。

 

上司に報告した時に、「あなたが何をつくったのかよりも、それを作る中で何を工夫したのかというプロセスの方があなたの中には残っていく」と言われて、まさにそれを感じていたのですごく嬉しかった。

 

そしてその職場にはロールモデルに近い人がいて、それも含めてあー縁の中で恵まれているなぁと思う。なんかその人は3年目?2年目なのだけれども

・何かあったらみんながその人を頼ってしまうぐらい仕事のことを把握したうえで仕事をしている印象

・細かい。細かくて、大きい(仕事に対する目の細かさを保ったまま、とても広い範囲をカバーしている。

・資料(情報)をたくさん持っている。おそらくこれ、「集めろ」と言われて集めたのではなくて、ひそかにストックしていったものの積みかさねなのだろうなぁと思う。目利き。

・分からないことはきく人、納得できないことはするまで落とし込もうとする人(私もこのタイプだけど、そうかこの性質を妥協せずに生かすとこうなるのかーとその人を見てて思う。私がはてなと思う部分と一緒の部分を疑問に思ったことがある人なのだろうなーと話しててたまに思う。)

今日たまたま知った情報がのちに「仕事の流れの中でここに繋がっているのか。」「流れの中でこんな仕事を生み出しているのか」という発見に繋がることが多い。だから今は妥協せずに小さな情報を拾い続ける必要があるのだろうなぁと思った。まだまだ取捨選択できるだけの全体の流れを把握していない。

・私、いま自分が持っている仕事しか見えなくなってしまうのだが、その人はその場の色んなところに気をくばらせている。他の人の電話内容、来客、職場で行われる会話、物件の動き。その人を観察すると、社会的な営みを行う人間としてはどこに気をくばればいいのかがよく分かって面白い。

仮に私がこの会社で2年目を迎えるとして、この人を越えるスピードで成長できるだろうかーと考えたりしたのだった。

 

いちどどっぷりと不動産にはまることになる気がしてきた。(あくまでも私の根本的というか日常的な興味関心は人間なのだけれども、これはこれでどこまで深められるのか潜ってみるのはありだなぁと思った。)