iとnot

私はわたしを手放して息のままに在りたい

棚卸し 20150123

あれあれ、自分の性質の話してないや。。

 

私さっきふと分かったことがある。

自分は「言語化」にこだわりがあるのだが、その理由が分かった。

 

言語化の感覚って「世界が平らにならされてゆく」感覚なのだよね。

凹凸の激しくめまいのするような世界が

それまで遠くまで見渡せなかった世界が、

視界を遮っていたものが平らになって

広くひろく、遠くとおくまで、見渡すことができるようになる。

 

そっかーそっかー、でこぼこがたいらになっていく感覚なのだなぁ。

そこからふりかえってみると、私が苦手だなぁとか嫌いだなあとか思う単語って、やたらとその時そのときに感じる単語の感覚に差があるのだよなぁ。単語の強弱や、大きさや、表面の感触だったり色だったりがまったく一定じゃない。

愛とか優しさとか共感とか分かるんだけど、分かるんだけど、どうも単語の感覚としてのウェットな感じがあまりすきじゃないんだよね。なんと不安定な言葉なのだー。

 

私が自分と性質・感覚が一致すると思っている人も言語化にはこだわりがあって、やはりその人の言葉って平坦なのだよね。(だから、受け取り手によってはそれを冷たいとか機械っぽいと感じる人もいる。)